2008年1月9日水曜日

脳科学のお勉強 4


「脳研究の最前線」というブルーバックスの本を少しずつ読んでいます。

さて、今回は<第4章 言語の起源と脳の進化>を私なりにまとめてみました。
内容が原本から離れてしまっていたり、用語の使い方が間違っているところがあるかもしれないので、もっと深く知りたいときには、原本を読んでみてね。

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動物が生存のために必要なことは、いかにして敵から身を守り、いかにして子孫を繁栄させるか、だろう。
そのためには動物のメスは、パワーがあり、生殖能力に優れたオスを見つけなくてはならない。
たとえば身体の大きなオス、あるいは力の強いオスは、動物社会の中にあっては、とても人気が高いだろう。

人間だってかつてはそうだったに違いない。
筋骨粒々で、獲物を捕らえるのがうまいひげ面の男がもてた時代もあったに違いない。
ところが、人間にとってそれほど敵も少なくなり、また子孫繁栄以外にも生きる目的を見つけてしまうと、めめしい男でも人気が出てくることになる。
それまで日陰の存在であったニューハーフなどがテレビでも人気者になる現代というのは、つまり敵を意識しないで生きていける世の中だという証なのだろう。


さて、この章の著者の岡ノ谷一夫さんは、動物、それもジュウシマツという小鳥を実験対象にして脳科学の研究をしているのだが、小鳥の中でも、ペット化して外敵がなくなったジュウシマツというのは、人間と近いものがあるそうだ。
その研究は、オスのジュウシマツのさえずる声を分析して、どんなオスがもてるか、つまり生殖能力が強いかを分析しているそうだ。

岡ノ谷さんのお話は2回しかお聞きしたことがないが、外見からすると、脳科学者というよりも、むしろ陽気なお父さんという雰囲気の方だ。
ふつう脳科学者というと、マウスかサルを研究対象とするのだが、小鳥、それもジュウシマツというのは、やはり変わっているよね。

でもたかがジュウシマツと言うなかれ。
ジュウシマツはペット化されていて、敵から身を守る必要がないので、そのその鳴き声(歌と書いてあるが)もどんどん複雑な配列になっていくそうだ。
そして複雑化した歌ほどメスに気に入られるらしい。
ジュウシマツの声がそれほど複雑なものなのか、シンプルなものなのか私には分からないのだけれど、その声には高低があったり文節があるらしい。

このようなジュウシマツは、初めにも書いたように、人間の環境と似ているそうだ。
つまり家畜化した生き物は、その求愛行動がどんどん複雑になっているというのだ。

外敵の多い生き物だと、そんなに求愛行動ばかりに没頭できない。
そんなにメスのことばかり気にしていたら、敵に食われてしまうかもしれないのだ。
ところが敵に捕らえられてしまう心配がなくなった人間は、どんどん言語が発達したというのだ。

ジュウシマツの脳みその中で、一番大切な部分を傷つける実験をすると、その歌声が変わってしまうらしい。つまり高等な歌ではなくて、もっと簡単な歌になるという。
そんなふうにして、小鳥のさえずり声から脳のことを研究しているのだ。
こんなふうにして歌を歌うのは小鳥だけではなくて、鯨も同じだそうだ。

ところで、岡ノ谷さんの説によると、歌を歌うためには、脳の中の運動系と感覚系の両方の発達が必要で、そのために大脳が大きくなったのだという。

ふーん、それが「脳の進化」なのね。

そうなると、カラオケが好きな人ほど脳みそは発達しているのかしら。


ところでこの章では「言語の起源」とタイトルにあるが、岡ノ谷さんの定義によると、「言語」とは意味がある単語が文法的に組み合わさってできたもので、かつ、さらに広い意味をもつもの、ということらしい。

犬がワンワンと吠え、ネコがニャーニャーと鳴く。
これだって言語といえば言語かもしれないし、コミュニケーションには役立っているかもしれない。
しかし犬が「いかにして生きるべきか」とかは考えないだろうし、ネコが「私の悩みを聞いてよ」と言うことはないだろう。

また、言語は「手」から、あるいは「音」のどちらから始まったのだろうということも研究者の間では、問題になっているらしい。

言語の始まりについて、サルの研究をしている人は「手」からと考えるそうだ。
それに反して岡ノ谷さんのように鳥の歌を研究している人は「音」からと考えるそうだ。どちらにも一理ありそうだ。

ところで人類の言語起源はどこから始まったのだろう。
人類の初めはアフリカ大陸だという説があるので、アフリカの言語が言葉の始まりなんだろうか。
アフリカの言葉は同じことばを重ねて言うことが多い。たとえばポレポレとか、ンゴロンゴロとか。それは単に言い易い言葉だったのだろうか。
クロマニヨン人とか北京原人はどの程度、言語を使うことができたのだろうか。

また言語はどんな単語から始まったのだろう?
多分、初めはお母さん、お父さんを表す言葉しかなかったのかもしれない。
あるいは男女の間の恋愛感情を表す言葉だったのかもしれない。
あるいは、単に「あれ」とか「これ」とかいう単語から始まったのかもしれない。

そんなことを考えてみると、言葉というのは、たいそう面白い題材だ。
いろんな疑問が広がり、いろんなことが想像できる。歴史も地理も生物学もすべて網羅している。

そんな面白い言語という研究を、脳科学の立場から、それも小鳥の歌から研究している岡ノ谷さんという方は、ほんとうに面白いことを真面目に取り組んでいる方なんだな、と思う。

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