2010年12月19日日曜日

江戸の絵画

「江戸絵画の展開」という市民カレッジ講座の3回目でした。

先生はたくさんのスライドを見せながら、ばりばりとお話を進めます。

今回の主なテーマは江戸時代の有名な絵師 俵屋宗達までの流れの説明です。


前回の狩野派の授業では、探幽などの狩野一派は主に権力者(幕府の偉い人とかお寺さんとかお公家さんとか)を相手にして絵を描いていたのですけれど、江戸時代も時代が下るとだんだん商人の力が増してきて、それで絵師たちは豪商と言われる人たちのためにたくさの絵を描くようになりました。

この時代の絵は、墨絵、そして風俗画が盛んになってきたようです。

風俗画と言うのはすごく楽しいですね。

一枚の屏風の中にたとえば花見をしているシーンがあったり、喧嘩をしているシーンがあったり、お風呂屋さんのシーンがあったりと当時の庶民の生活が良く分かります。
また彼ら、彼女らのヘアスタイルや着物などもよく見るととても面白いものがありました。
その頃の着物と言うのは、身幅が今の着物よりもだいぶ広いものだったし、逆に帯はすごく幅が狭いものが流行していたようです。

風俗と言えば、三味線を弾く人の姿もよく描かれていて、そこが面白かったですね。


さて、宗達も有名ですが、本阿弥光悦と言う人もすごい人だったようで、「寛永の三筆」と言われるほど、すぐれた字を書く人だったようです。

それで宗達が鶴の絵や鹿の絵を描き、その上に光悦が和歌などの文字を上に乗せて書いたもの、つまり絵と書のコラボがとても見事な作品になっていました。


宗達と言う人は好きな色があって(先生はそれを勝負色とおっしゃっていましたが)、それは白・金・緑でした。金箔の地に真っ白な雲、松の緑などの絵は色鮮やかでコントラストが美しい絵になっていました。

当時は絵の題材を伊勢物語や源氏物語などの昔の文学に求めることが流行っていて、私も大和絵を好きになったのは伊勢物語の絵からでしたので、彼らの絵は江戸時代だけでなく、いまでも人々の心にグッとくる何かを持っているのでしょうね。


これは源氏物語の中で、源氏と明石の上がすれ違うシーンですが、こんなふうに俵屋宗達の絵は切手にもたくさん使われておなじみですね。

4 件のコメント:

ハッセルぶらっと さんのコメント...

こんにちは
この風神雷神の絵を見て、京都・河原町にもあったなと 思いました。
京一四条店と云う パチンコ店です。
道の反対側から見ると、風神雷神の壁画があるんです。パチンコ屋には ちょっと合わない絵ですよね。
烏丸と河原町の間ですので、いつもお泊りのホテルに近いので 機会があれば 前を通るだけでも行ってみてください。

おおしまとしこ さんのコメント...

へー、河原町のパチンコ屋さんに風神雷神があるのですか。なんだか勝負運がよさそうなお店ですね。
私は祇園の近くにある建仁寺で本物を見ましたよ。
宗達の絵は大きいのもあるし、色紙のような小さいのもあり、色彩豊かなのもあるし、モノクロのもあるし、いろいろなタイプの絵を描く人だったと思いますね。

たかぽん さんのコメント...

本阿弥光悦は私も大好きですよ~。としちゃんさんも気にいってくださってうれしい!鷹ヶ峯の光悦寺は紅葉や新緑の季節に行きますが、入口までのアプローチがお気に入りです。開けた高台にある大好きな場所です。京都にとしちゃんさんは詳しいからもうごぞ存知かもしれませんが、お薦めです。

おおしまとしこ さんのコメント...

たかぽんさん、こんにちは。ご無沙汰しています。
そうそう、たかぽんさんが光悦寺に行った時のブログは見ていますよ。いいなーと思っていたのです。今は京都は寒いでしょうね。
光悦は自分で描いたりお椀を作ったりしていたそうですけれど、それ以上にプロデューサー的役割をしていた人だったそうです。字が美しいのに感激しましたよ。