2011年9月22日木曜日

野分

昨日の台風の強風で、職場のある駅前広場の大きな銀杏が根っこから倒れていました。

職場の庭のすずかけの木も倒れてしまっていました。

台風の威力をまざまざと感じさせられました。

娘の出産が近づいているのですが、こんな日に産気づいたら大変だろうなと思いましたね。

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私の記憶の中で一番すごい台風は、なんといっても伊勢湾台風です。
あのときは小学校まで浸水してしまい、げた箱にしまっておいた上履きが水の上にぷかぷかと浮かんでいたのを思い出します。

あの伊勢湾台風が来たのはたしか9月26日で、父は給料日でしたが、当時は現金支給だったので父は暴風雨の中を膝まで水につかりながら、給料袋を持ち帰ってきたような気がします。

昨日の台風は雨もたくさん降りましたが、風のすごかったこと。
風速40メートルくらいあったのかもしれません。
道路を風がどーっと吹き飛んでいくシーンを、雨宿りしていたモスバーガーからガラス窓越しに眺めていました。


暴風雨というと、源氏物語の中にある二つのシーンの「野分」を思い出します。

一つは源氏が須磨に下っていた時のこと。
この時は彼は男の家来たちと小屋にいたのですけれど、ものすごい大雨と大風に見舞われ、そして夢の中で先帝にお会いして、不思議な言葉を聞いたのでした。

もう一回の野分は、こちらは光源氏の息子である夕霧がメインなのですが、野分の後に六条院にお見舞いに行ったとき、あまりに風が強かったので御簾などもちゃんとしていなかったのでしょう、源氏の最愛の妻である紫の上をちらっと見てしまったお話です。これを「垣間見」と言います。

当時は男の人が女の人を「見る」というだけで特殊な感情が湧いたわけですから、義理の息子である夕霧が、美貌の義理の母を見てしまった時のどきどきした気持ちはどんなだったでしょうね。

いずれにせよ、この2回ともかなりの被害があるほどの暴風雨だったのですが、きっと昨日の台風のような感じだったのかもしれませんね。

そしてこの風でうちのお花はみんな見事に散ってしまいました。

彼岸花の写真は無料サイトからお借りしました。

5 件のコメント:

トントン さんのコメント...

伊勢湾台風のときのことは、強く記憶に残っていますね。
伯父の家が江戸川の側にあったので、いとこ達が避難してきて、私は何もわからず、とても嬉しくて。
噂の生物部の先輩は、愛知にその頃住んでいて、厚い門の扉に穴があいたと言うのを聞いたことがあります。
久我山駅周辺も、神田川が溢れて、浸水していた商店が多かったですね。
護岸工事で味気なくなったけど、こうしたことを思うと仕方がないのかと思うことがあります。

トントン さんのコメント...

たった今の情報で、夫が井の頭に行ったら桜の木やケヤキの木が、見ただけでも根こそぎだったり、折れたりで、5-6本やられていたそうです。
なんだかすごくがっくりしました。

おおしまとしこ さんのコメント...

トントンも伊勢湾台風のことはよく覚えているのね。子どもの頃に体験したことはずっと忘れないですよね。
私の小学校は善福寺川の隣にあったのですけれど、いつもいつも台風のときには氾濫していました。
井の頭公園の桜も倒れてしまったんですか。残念ですね。ケヤキなんて太いでしょうに、それがやられたとは。
うちの近くにある「狛江の五本松」というのは時代劇によく使われていたそうですけれど、それも倒れたそうです。
台風の威力はすごいですね。

マサ さんのコメント...

私も、伊勢湾台風のことは覚えています。
当時は、浜松に住んでいたのよね。恐いという記憶より、神棚の下に家族全員が集まって手を合わせていた光景が心に残っています。子供心に、「あとは天におまかせします」って、厳粛な気持ちだったのかも知れないわ。
つまりは、それほど凄い台風だったということよね。

おおしまとしこ さんのコメント...

マサさん、浜松だったら大変だったでしょうね。一家そろって神棚の下に集まるというのもそうそうないことでしょうからよく覚えているのかもね。
それにしても台風一過といいますけれど、過ぎ去った後の爽やかなこと。あの暴風雨が嘘みたいな秋になりましたね。