2012年6月24日日曜日

中央区新富町かいわい

今年の4月から大和文化会の講座に通うため、月に2回ほど銀座まで足を運ぶようになりました。

この講座は銀座2丁目にある中央区立の施設「銀座ブロッサム」というところで開かれていますが、
そこは銀座といってもいわゆる銀座の中央通りからは離れているので、どちらかというと築地寄りの下町っぽいところです。




上の写真の手前の道路をこちら側に渡ると、東京メトロの「新富町」▼の駅があります。



この駅は有楽町線の駅で、できたのは1980年(昭和55年)ということですから、かれこれ30年以上は経っている駅なのですね。

新富町というところはあまりご存じない方もいらっしゃるでしょうが、私の母はこの町で生まれたので、私は小さいときから「しんとみちょう」という単語だけは良く耳にしていました。

母はその後、昭和の初期(戦前ですが)、小学生か中学生のころに港区へ引越しました。

それで私が子供のころ、母に連れられておじいちゃんやおばあちゃんに会いに行くいわゆる実家というのは港区だったので、新富町というところは私にとっては幻の場所でもあったわけです。

それが今回、たまたま大和文化会の講座の場所と新富町は目と鼻の先にあるので、今回は早めに到着して、そのあたりを歩いてみました。

新富町の駅のすぐ隣には中央区役所が建っています。



このあたりは築地とも近いので、ちょっとした料理屋さんや小さなレストランもぽつぽつとありました。

ちょっと目を遠くにやると、「松竹衣装株式会社」と書かれた看板が見えますが、歌舞伎や映画の衣装もここで扱っているようですね。

松竹衣装のホームページ▼




そういえば、母は以前、「私の生まれたところは、高速道路になってしまったらしいよ」と話していました。

この道路になってしまったのかしら?

車がびゅんびゅんと通り過ぎる高速道路を、橋の上から眺めました。




今はビルが立ち並んでいますが、母が生まれたころは、このあたりはどんな風景だったのでしょうね。

幼いころは、このあたりでどんな遊びをしていたのでしょうね。おにごっこやかくれんぼでもしていたのかしら?

母にこの写真を見せても、新富町のことはきっと何覚えていないでしょう。

私が新富町に出かけるようになったのも、何かのご縁かもしれないと思うと、この銀座のはずれの下町に、なんとなく親しみが湧いてくるのでした。

0 件のコメント: