2013年6月24日月曜日

「日本絵画名品比べ 4」

今回の名品比べは前回の講義▼に引き続いて、長谷川等伯と狩野派のお話でした。

というのも、講師の先生は大の等伯ファンなので、等伯のことを語らせたら永遠に続くのではないかと思わせるほど、等伯の話がもりだくさんで、1回では終了しなかったからです。

ちなみに、今、テレビのコマーシャルで等伯の作品が見られます。
それは福山雅治が出ているアサヒスーパードライのCMです。ご覧になった方も多いと思いますが、京都の智積院にある等伯の障壁画をバックにしています。


この障壁画は、秀吉が幼くして亡くなった我が子鶴松の三回忌法要のために、等伯に描かせたもので、等伯は息子の久蔵とともに制作しました。

福山雅治は絵を背景に座っているのですが、講師の先生は、「この絵は、福山雅治のように座って見るのが正しい見方」とのことでした。

さて、前回の続きになりますが、エリート絵師だった狩野永徳が亡くなった後は、等伯の独壇場とでもいうほど、あちこちの大きなお寺やお城に絵を描いていました。

こちらは相国寺にある「萩芒図屏風」です。
上のほうが萩、下のほうが芒になります。
萩が風になびいてだんだんと倒れるようになっているところが、素晴らしいということでした。
等伯54歳の時の作品です。


そして画風も、不要なものをどんどん削り取ってシンプルなものになっていきました。抒情的な絵になっていったそうです。
前回ご紹介した「松林図屏風」へと続きます。

そして等伯は1610年に72歳で亡くなります。

絵画界の王道を歩み、サラブレッドであり、権力者に取り入れられ、過労死で早死にした永徳。ただし残っている作品は少ないそうです。

そして田舎に生まれ、独自の道を歩み、さまざまな階級の人から人気があり、長生きをした等伯。現在も重要文化財に指定されている作品が多く残っているそうです。

そのような二人のことを、講師は、オーケストラ演奏の永徳、ソロ演奏の等伯、という比喩ができるということでした。

そしてその後、今度は狩野探幽(1602年~1674年)の時代へと入って行くことになるのです。

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前回は洋服だったため、寒くて仕方がなかったので、今回は着物にしましたが、薄い生地の着物だったのでまだ寒く感じました。今度は羽織でも持っていかないとダメかしら。

この先生のお話はかなり専門的なので、私はこちらのガイドブックでまず簡単に予習してから参加しています。

幻冬舎の「知識ゼロからの日本絵画入門」です。
テレビの「何でも鑑定団」に出演している安河内眞美さんという方の本ですが、初心者にも分かりやすい本です。





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