2013年12月4日水曜日

「日本の染織文化」4 ~織り方~

この回の染織文化講座は、少し専門的な内容でした。
私なりにちょっとまとめてみました。

長崎先生のお話は、いつも「ものの発達の歴史を読みとる」というところから始まります。
染織の歴史についても同様で、サルから人へと進化した生き物は、頭脳とよく動く手を持つようになったその反面、毛皮がなくなり、皮膚の弱体化という欠点を持つようになります。
そしてその欠点を補うためには、他の動物の毛皮を利用する、ということに気づくようになります。
その後、細いひも状のものを編み出して行く、という染織のスタートラインを忘れてはいけない、という歴史の流儀を念を押しておっしゃいます。

【道具の変化】

最初は動物の毛皮をまとっていた人類ですが、その後、道具を使って布を織るようになります。
初期の道具は「竪機(たてばた)」といって、道具は立ててあり、下の方から上に向けて編んでいくスタイルの道具を利用していました。

しかしこの方法だと、横糸を入れるときに不便があり、また腕が痛くなるので、次には「傾斜機」という形に変わっていきました。

その後、身体的負担を減らすため、また時間を短縮するために、機を横にした「水平機」というスタイルに変わっていきました。

道具の発展についても、人間はなるべく楽をしたい、ということから新しい次の道具を作り出していったわけです。

【織り方について】

麻や木綿、毛などの繊維を使用していた時は、平織りだけでしたが、絹を使用するようになると、いろいろな織り方により模様が見えることに気づきます。
つまり、元は間違って織ってしまったものが、織り方によって光沢の違いがあることをに気づき、それが模様として使えるということを発見します。
それが平織りから綾織りへの変化です。

綾織りの中でも、「平地綾」というのは鎌倉から室町時代の頃に生まれたものだそうです。
その後、模様がはっきりと見える「綾地綾」という織り方が生まれました。

また数色のたて糸をひと組みとして、模様によりそのうちの一色を生地の面に出したのが経錦(たてにしき)であり、その50年後頃には、数色のよこ糸をひと組みとして、一色を生地面に出した緯錦(ぬきにしき)が生まれます。

その後、錦織は手間がかかるので、お手軽バージョンとして生まれたのが「つづれ織り」というものでした。

また経糸とよこ糸の交差する点が連続しないように隙間をおいて織ったものが「繻子(しゅす)」であり、繻子に模様をつけたのが「綸子(りんず)」となりました。これは鎌倉時代のころに生まれた技術だそうです。

また現代では「紗(しゃ)」は夏着物として用いられていますが、平安時代には紗は特に夏に限定しないで「薄物」として使われていたようです。
「羅(ら)」は奈良時代からあるそうで、羅が紗よりも古いとのことでした。

いろいろな織り方を説明していただきましたが、その変化の基本は、つねに失敗したできごとから新しいものに気づいた人がいたことだ、という点でした。
また時間の短縮をしたい、面倒な手間を省きたい、ということから新しい技術が生まれるというのが、長崎先生がいつも力説されることです。

「これは面倒だな」と思った人がもっと簡単な方法を見つけ、また失敗したことから新しいものを発見するということは、どんなことにもつながることですね。

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この日の装い。

講座に出席するときは、他に着物着用者がいないこと、洋服もすごく地味な人ばかりなので、あまり浮かないように、私も超地味着物にしています。
(本心は、他の人も着物を着て参加してもらいたいんですけどね。)


原宿のリサイクル着物屋さんで買った紬。
色の具合と身丈と裄が合っているのでいいと思って買ってみましたが、身幅がかなり広くて着にくくて、結局お直しをしてもらいました。
着物はたしか5000円だったので、お直し賃のほうが高くついてしまった、恨みの着物です。

帯はさとさんからのいただきものの龍村の帯。
さすがにきちんと感が生まれて、何にでも合うのでお役立ち度が高い帯です。




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