2014年1月23日木曜日

小豆の思い出

私は豆類はほとんど好きですが、中でも小豆は大好物です。

小豆は登呂遺跡からも出土しているようで、古代から日本人に親しまれていたのでしょうね。

小豆の料理といえば、あんこやお赤飯が代表的ですね。
子供のころはお赤飯は苦手でしたが、いつからか好きな料理になりました。

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明日は京都に行きますが、小豆粥の精進料理を出してくれるお寺があるので、そこへ行く予定にしています。
東林院(とうりんいん)▼というところです。

女正月(1月15日)には小豆粥を食べるという習慣があるそうで、普段は入れないお寺ですが、1月だけは「小豆粥で新春を祝う会」というのがあり、特別に参拝できるようです。

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私の母は、昔は料理をこまめに作る人でしたので、女正月の1月15日には小豆粥ではなく、お汁粉をよく作っていました。

そして私の父は、その日にお汁粉を食べて、その後で何度目かの脳梗塞を起こして入院してしまい、その2週間後には帰らぬ人となってしまいました。

母の作ったお汁粉が、父の胃袋に入ったまま倒れてしまったわけです。

それで父の思い出を語る時には、いつも「お父さんの最後の食事はお汁粉だったわね」という話題になるのです。

そんなわけで、1月の中旬になると、私はいつも小豆のことを思い出してしまいます。


そのころはまだ元気だった母も、来週には90歳の誕生日を迎えます。

いつもホームでおいしい食事を用意してもらっているので、当分はこのまま平安に暮らせるかと思いますが、母の最後の食事は何になるのでしょう。

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明日の京都での小豆粥、楽しみにしています。




4 件のコメント:

マサ さんのコメント...

お母さま、来週90歳になられるんですね。お写真を拝見する限り、とてもお元気そうだし素晴らしいです!
今は100歳超えも珍しくないから、100歳目指して頑張って(というのもヘンだけど)欲しいですね。

お父様の最期の食事が「お汁粉」だったんですね。お父様は甘党でしたか。
うちの父は亡くなる3週間前から食べることを拒否しましたら、最期の食事が遺された家族の記憶に残るのは、それはそれで幸せなことかもしれませんね。どちらにとっても。

おおしまとしこ さんのコメント...

マサさん、母が100歳まで生きたら、私はよれよれになってしまいそうだわ。

父は日本酒もビールも煙草も大好きでしたが、晩年は甘いものも好きになっていたようでした。
マサさんのお父様はお食事ができなくなってしまったのですね。拒否されたというのは意志だったのかしら。少し残念でしたね。

ひょっこり さんのコメント...

としちゃん、スッキリとした気持ちで今頃京都にいますか?
 例の件、本当に良かったですね。

ところでお父様の最後の晩餐のお話。ちょうどNHKの朝ドラも近藤正臣扮するお父様の最後の晩餐の話だったのよ。
お父様は幸せだったと思う。朝ドラの近藤正臣も幸せに逝ったもの?

お母様は1月の末が誕生日?私も来週誕生日なのですが・・。近いのかな~。
ちなみにマサさんのお父様と私は同じだったような。良い人たちが集まりました(笑)

お寒いでしょうが、キ~ンとした静寂の古都楽しんできてください。

おおしまとしこ さんのコメント...

ひょっこりさん、こんにちは。
京都から戻りましたが、実は京都はものすごく暖かったんですよ。
1月には生死にまつわるいろんなことがありますね。
あまり良い話ではないのですが、先週、私のおばが95歳で亡くなりました。斎場も込んでいるようで、葬儀は10日ほど後になりました。
そうそう、京都のホテルで「ごちそうさん」を初めて見ましたよ。近藤正臣がおじいさん役、宮崎美子がおばあさん役でショックでしたね。近藤正臣、大好きだったのに・・・・。