2014年2月23日日曜日

「悲愁中宮」

安西篤子さんの「悲愁中宮」を読みました。


この本の主人公は、権力の座をほしいままにしていた藤原一族の家に生まれ、帝のもとに嫁ぎ、跡取りにも恵まれ、傍目からは何不自由なく暮らしているように見える中宮。
しかし父の道隆や兄などの後ろ盾を次々に失い、帝のもとには新しい女性が現れて、失意の底へ落とされてしまった中宮。

この中宮は藤原定子。そう、「枕草子」の著者である清少納言が仕えた実在の女性です。
そしてライバルになる影子の父親である藤原道長も、ここでは陰謀家として登場しています。

この小説は、中宮のおそばに仕えることとなった女房・左京の目を通して、貴族たちの生活を描いた作品です。

当時の高貴な女性といえば、毎日の生活は楽器を奏でたり、歌を読むこと以外は、恋愛をすることしかなかったのかもしれない。それくらい恋愛が重要な役割でした。
つまり有力者の娘と生まれたからは、帝の嫁になり、男の子を生んで次の世代の東宮や帝になってもらい、彼女の父親であるおじいさんが、力を発揮するための一種の道具のような存在でした。

掃除・洗濯・料理などはすべて使用人たちがやってくれていたし、子育てだって乳母が担当していた。
外出することもままならず、といってショッピングなどもない時代。

入浴も洗顔も着替えも、すべてお付きの人の手を煩わせています。
もちろん、寝室での夫婦の睦み合いも、すべてお付きの人たちに聞かれてしまっているような生活です。

そういう生活は、はたして楽しいものだったのでしょうか。

愛する夫の通いがだんだんと間をあくようになり、別の女性の影がチラチラとしてくるようになると、考えることといったら、夫を恨むことだけになってしまうのかもしれませんね。

そんな平安朝の女性たちは、最終的には世をはかなんで、出家することしかなかったのでしょうか。

安西さんは直木賞を取った作家さんですが、平安時代の生活の様子をとても詳しくご存じです。この小説の中で、当時の貴族の女性たちの行動や生活をつまびらやかに明かしてくれています。

平安貴族というのは、たかだか1000人ほどしかいなかった、という話を聞いたことがあります。
ですから、その少ない人たちのことを扱った王朝小説を読んだところで、何の足しにもならない、といえばそれまでです。
しかし現代に生きる私たちとはまるで縁のない高貴な女性でも、私たちと同じように悩み、苦しんでいたということがよく伝わってきます。

そこが歴史小説の面白いところですね!




2 件のコメント:

ずんこ さんのコメント...

藤原定子は案外人間味あふれる感じの人だったのですね。
私も恋愛にすべてをささげていると、それが破れたときは相手を恨んでしまうかも。
平安貴族の生活、プライバシーも自由もないなんて全く魅力的ではないような・・

おおしまとしこ さんのコメント...

ずんこさん、恋愛は相手がいることなので、長い間、同じ気持が続くというのは難しいことですね。当時の人は、その気持ちが敗れると出家してしまう、という手段がありましたが、今の人はどうすればいいのでしょうね。
この作家のものは初めて読みました。昔のお話ですが、物語としてはとても上質な小説だと思いました。