2017年9月26日火曜日

2017年秋 関が原へ 2 ~気温は同じでも~

一昨日のブログ▼に書いたように、関ケ原などに出かけるツアーに参加して、戻ってきました。

(石田三成の陣地・笹尾山の頂上にて)

一つ一つの場所のついての感想はまたにしますが、旅行を通して感じた事を一つだけ挙げると言えば、同じ気温でも、体感温度は東京で感じるのとは、まるで違うのではないか、ということでした。

出かける前にはインターネットで、また現地ではテレビの天気予報で気温を確認しました。
旅先は、28度とか30度とかいう予報が出ていました。
えー、あまりの高温予想にがっくりしました。

東京に住んでいると、そのような気温だと、とても蒸し暑くて、ぐったりしてしまうような気温です。

ところが関が原でも、琵琶湖でも、比叡山延暦寺でも、同じような気温でしたが、暑さはまるで感じませんでした。
くっきりとした青空が広がり、太陽ががんがんと照りつけていましたが、普通にしていれば暑いとは思いませんでした。
まして木陰などにいると、涼感を感じたほどです。

(琵琶湖クルーズの船上から)

これが本来の28度という暑さなのでしょうね。
人が多く住んで、マンションやビルが立ち並ぶ東京の方が異常なのかもしれません。
東京だけが標準ではない、ということを実感として思い知らされた旅行でした。

(比叡山延暦寺 西塔)

気温は高かったけれど、想像以上に爽やかに過ごせた、というのが実感です。

旅行記は少しずつ、まとめていく予定です。

(この項、続きます)





2017年9月24日日曜日

2017年秋 関が原へ 1

先日、映画「関ケ原」を見た▼から、というわけでもありませんが、関が原方面に出かけてきます。

今回は単独旅行ではなく、ツアーです。
映画の「関ケ原」▼とタイアップしているせいか、とてもお得なツアーです。
私はツアーは苦手なのですが、このコースなら一人で行くよりもずっと格安なので、参加することにしました。


ルートは、関が原に行く前に、かつては徳川家康も住んでいたという浜松城に寄ります。
浜松城は、今年の春にも出かけている▼ので、2回目の訪問となります。

関ヶ原を見学して、その後、長浜に泊まります。
長浜は2011年11月に出かけました▼が、大好きな町です。
当時は京都に住んでいたさとさんとも会えたし、翌日は洋服に着替えて、一人で町中をサイクリングもしました。
今回は長浜城が近くに見えるホテルに泊まる予定です。

翌日は彦根から琵琶湖のクルーズ。
これが一番の楽しみです。
彦根城も見えるそうです。
ここは2012年に行ったのに、大雪のために行けずに諦めてしまった▼という幻のお城なので、今度はしっかりと見てきたいですね。

そして琵琶湖大橋を渡って、今度は比叡山延暦寺へ。
ここは一度は行ってみたかったところなのです。

というのが主なルートです。

それでは、ちょっと出かけてきます。

2017年9月23日土曜日

5歳孫の初めての単独お泊り3泊

先週のことになってしまいましたが、孫が初めて一人で、我が家にお泊まりをしました。

最初の日は、私が娘のところまで出かけて、うちまで連れて帰りました。
途中、新宿のビックロ(ビックカメラとユニクロを合わせたお店)のおもちゃ売り場によって、大好きなレゴを選ばせました。


あまりにたくさん種類がありすぎました。
おまけに自分の年齢(5歳)にちょうどよい商品が見つからず、迷った挙句、7歳~14歳向け、というちょっと高度なレゴにしました。

レゴと言っても私が知っているようなものではなく、NINJYAGO▼という新しいもの。
私にはよく分かりませんが、忍者が悪者をやっつける物語があるようです。

わき目も振らずに取り組んでいました。


自分一人で解説書を見て、なんとか組み立てていました。


その後は、地元のパルコに出かけて、本屋さんに行きました。
孫は「おしりたんてい」▼というシリーズものの絵本が好きなようで、本屋さんでも座り込んでずっと読みふけっていました。


久しぶりに、絵本の読み聞かせをしました。

娘は「あの子は一人では眠れない」と言っていましたが、親の心配をよそに一人で寝ましたよ。

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翌日は近所の公園で遊んでから、「京王レールランド」▼というところへ。


これは京王電鉄が運営している子供向けの遊園地のようなところです。
入場料は250円と安いのですが、小さな子供から電車おたくの大人まで楽しめるところでした。


この運転手さんごっこは面白そうで、私もやってみたかったですね。


この日はママと妹も途中で落ち合って、一緒に遊び、2泊目となりました。

翌日はママたちと一緒に、自分の家に帰るのかと思ったら、自分だけはもう1泊するとのこと。
そして今度はおじいさんと一緒に羽田空港まで行き、デルタ空港の飛行機のプラモデルをおもちゃに買ってもらいました。
デルタにこだわったのは、去年、グアムの結婚式に行った時に乗った飛行機だったそうで、よく覚えているものですね。

ということで初めてのお泊りは3泊となりました。
いちおうなんでも一人でできるようになったのは、孫の両親や、保育園の先生のおかげでしょうね。

帰りの日。
何か虫を捕まえて遊んでいるところです。


この子も来年は小学生。
時の経つのは、早いものですね。


2017年9月22日金曜日

脳の世紀シンポジウム2 「脳を知る」

「第25回 脳の世紀シンポジウム」のレポート2回目です。


さて、染色家でもあり、染織の歴史に詳しい吉岡先生のお話▼を聞いた後は、専門家の話になりました。

まずは、大阪大学大学院生命機能研究科教授の藤田一郎先生の登場でした。
タイトルは「色ときらめきにあふれる3D世界と私たちの脳」

ところが、私はこのところ物忘れの度合いがひどくて、一週間前に聞いたシンポジウムの内容も、もろくも忘れ去ろうとしています。

それでも、講師の先生のシャツの色が、ベージュ色で、焦げ茶色の幾何学模様だったということは、まだしっかりと脳裏に焼き付いています。

それくらい「色」というのは、インパクトがある事柄なのでしょうね。

以前、やはり脳科学の話を聞いたとき、
【「赤い」色の「車」が「走っている」】
という事実を目の前にした時、ほとんどの人は、まず「赤」という色を思い出して、その次に「そうか、あれは車だったね」という事柄を思い、最後に「走る」という動作を思い浮かべる、という話がありました。

私が藤田先生のシャツの色だけは忘れずにいた、というのも当然のことかと、無理やり自分をごまかしています。

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藤田先生のお話は広範囲に渡り、面白い内容でした。
しかし専門的な用語も多く、スピードが早くて、ゆっくりと考えていると次の話になってしまい、理解できたかどうかは自信がありません。
その中で、一番インパクトのあったことは、こういうことでした。

それは「モノには本来は色はない」ということ。

でも世の中には赤やら黄色やら緑、ピンク、などいろいろな色が氾濫していますね。
それは、
◆光と
◆見るということを処理する脳と
◆分光反射率の違い
があるからこそ、いろいろな色に見える、ということでした。

何となく哲学的ですね。
でも真っ暗闇のところでは色は見えない、ということは体験的に分かるので、色には光が必要なのですね。

そして人間の眼は、なんと数万色は識別できるのだそうです。

「色の不思議」ということについても、いろいろと例を挙げて説明されました。

たとえば色には色の明るさという特性がありますが、これが明るい場合と、暗い場合では印象が異なり、たとえば同じ人間の顔写真を見ても、色黒だと男性のように見え、色白だと女性のように見える、ということです。

またfacebookなどでもよく見かけた事例ですが、同じ色のドレスを着ていても、周りの色によってブルーに見えたり、銀色に見えたりすることがありましたね。

それと「金色の不思議」ということも紹介されました。
金色というのは、部分的に見ると、単に黄色だったり茶色だったりするのですが、全体として見ると金色に見える。
そして、てかっているような感じがあると、それだけでゴージャスに見えたり、ぬるっとした感覚も沸いてきます。
金色の持つ光沢感、というのは私たちがアクセサリーを選ぶときにも重視することですね。ただの、のっぺりとした金色では高価なものに見えませんね。

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藤田先生は動物学から研究を始めたそうで、人間以外の動物の視覚についても詳しい説明がありました。
動物の種類により色の見え方が違うというのはよく耳にしますが、「ミツバチ」は特殊で、人間よりも紫外線の外の色まで見えるそうです。
(それでミツバチは、花のミツのありかが分かるのかもしれません→私の感想)
つまり動物が見える世界と人間が見える世界は違うのですね。

脳の話では、サルの脳のことも取り上げていましたが、サルの大脳を切り開いて、平らにすると、そのうちの半分くらいは視覚に関係する部分になるそうです。

また人間の脳の細胞のうち、どの色に反応する細胞かは決まっているそうですが、「赤」に関係する細胞が多いということだそうで、それは吉岡先生のお話にも通じることでした。
「赤」という色が目立ちやすいのは、細胞レベルでの違いなのですね。

脳というのは、かなりベトベトとした物質でできているものだそうですが、脳のどの部分で色が分かるとか、言語が分かるとかなどは現在では細かく研究が進んでいるそうです。

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藤田先生のお話はいろいろあったので、以上は、私が気になったことだけをまとめてみました。
なかなかうまくまとめられませんでした。

以下は、私の感想です。

「赤」い色を見るとメラメラと燃える火を思い出したり、「青」い色を見ると爽やかな気持ちになったりするのか、ということはみな同じではないとは思います。
たまたま同じような環境に長く生きているという積み重ねがあってこそ、そういう感情は共有できるのでしょうね。
人種や歴史によって異なるのは、どちらが良くて、どちらが悪いということではないと思います。
双子が違った環境で育ったときのその後の研究、というのがありますが、時代や環境に寄っての違いはどうなのか、気になりました。

色の話とは直接関係がないかもしれませんが、色から受け取る感覚は先天的なものと、後天的なものがあるということがある程度分かると、たとえば人種による差別なども少なくなるのでは、と思いました。
日本人だけが優れているとか、他の人種は劣ってるということは、簡単に口にすべきことではないでしょう。

また、「光と眼と脳がないと色が見えない」というのは、たとえば生まれつき盲目の人には、色は存在しないのか、という疑問が湧きました。

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吉岡先生のお話と、脳科学の第一線の研究者の話を一度に聞けたのは、ラッキーでした。

ただし、シンポジウムは平日の昼間に行われましたが、会場には専門家のようなレベルの方から、定年退職者のようなおじいさんたち、学生など8割くらいが男性でした。

色の話は、本来はファッションとか、子育てにも関連すると思うので、女性向きでもあるとも思います。
女性向けの企画を立てるのは、なかなか難しいのでしょうか。

研究に性別は関係ないと思いますが、男の人が面白いと思うことと、女性が面白いと感じることは違うのと思います。
「脳研究」というと堅苦しい感じがしますが、女性研究者にも頑張ってもらい、身近な研究をしてもらえると、いいですね。



2017年9月21日木曜日

これは なあに?

これは何でしょう?
一見すると、朱肉のように見えますね。


実は「擽紅」▼といって、化粧品なのです。

紅なので、指にとって口紅として使用することができます。

それ以外には頬に塗って頬紅にしたり、瞼に塗ってアイシャドーにすることもできるそうです。
ただし、そのまま塗ると赤くなってしまうので、適当に手持ちのパウダーやアイシャドーと混ぜて使うと良いそうですよ。

ほんのりと目元が赤いのも、舞妓さんのようで可愛らしいかも。

こちらは歌舞伎役者の市川染五郎さんと、歌舞伎座の地下の木挽町広場にあるお店「蘭蝶」▼が、共同で開発されたものなのだとか。


歌舞伎の舞台から生まれた化粧品だそうです。

私もちょっと試してみましたが、少量でも伸びがよく、ちょっと楽しくなるものでした。





2017年9月20日水曜日

桐生織や桐生絞って?

先日、群馬県の伝統工芸士さんのお話を聴く機会がありました。
お話のタイトルは「桐生の歴史と絞り こぼれ話」でした。
桐生といえば、社会科の時間でも「織物産業で有名」ということは習っていましたが、さて、実際には織物産業といってもどんなものが有名なのか、私には具体的なイメージが沸いてきませんでした。
そのような疑問を持ちつつ、「桐生織」や「桐生絞」のお話が聞ける、というので好奇心で参加してみました。


講師は、桐生の「泉織物」▼社長で伝統工芸士の泉太郎さん▼でした。
泉織物はひいおじいさまが創業されたそうで、4代目ということでした。

泉さんによれば、桐生の織物の歴史は古く、1300年ほど前の奈良時代からあったそうです。
かつて上野国は、朝廷に初めて絹織物を献上したとか。
時代は飛びますが、新田義貞や徳川家康の時代には陣旗として絹織物が使われたそうです。
その後、江戸時代になるとこの地域は幕府の天領となり、豪商たちが自由なモノづくりをできる環境となり、特に何かに特化したものではなく、養蚕産業が盛んな地の利を生かして、高級な美術織物も作っていたそうです。
近代になると、桐生の織物産業はますます広範囲に発展して、洋服の生地をはじめ、着物、帯、海外向けの製品、制服、家具の生地など、あらゆる分野での織物産業が盛んになったそうです。
ということで、桐生織物の特徴というのは、「特徴がないのが特徴」ということでした。
なるほど、それで桐生の織物のイメージが沸かなかったわけですね。

ただし、現在では洋服関係の織物産業が多く、着物の着尺を生産するところは、こちらの泉織物1軒となってしまったそうです。
時代の流れでしょうか。

桐生織の歴史のレクチャーが終わった後は、実物を拝見させていただきました。

こちらは桐生絞りの、絞ってある時の状態です。


生地は絹、絞ってある糸は木綿なので、染料で染めても、糸で絞ったところだけは染まりません。
細長いゴムのようなものから、ヒトデのようなもの、イガイガのものなど、これが布地だとは思えないような形のものばかりでした。
手前にあるヒトデのような形の部分を開くと、こんなきれいな絞り模様が現れました。


下の写真は、その桐生絞りを帯にしたものです。
とても可愛らしかったです。
色違いの焦げ茶や抹茶色もあり、締めたら素敵だろうなと思えるものばかりでした。


泉さんの着物づくりの方針は、現代の女性が冠婚葬祭の時だけに着用する着物ではなく、普段のちょっとオシャレな場面に着て歩けるような着物を創作することだそうです。
周りの洋服の人にも溶け込んで、それでいて美しい着物を作り出したいということでした。

こちらの右側にあるピンク色の着物は光沢があり、とても素敵でしたよ。
細かい説明は忘れましたが、かなり手の込んだ技法のものでした。
どれもとても軽くて、触り心地のよいものばかりでした。


桐生織や桐生絞の実物を見たり、触らせたりしていただき、楽しめました。
泉さんはお話もお上手で、なんとなくコロッケさんに似ていて、明るい方でしたよ。

他にもたくさん美しい織物を拝見させていただきましたが、今回は目の保養だけ。
チラリと値札を見ましたが、おいそれと簡単に手が出るものではありませんでした。
「現代の女性に気楽に着てもらいたい」とのことですが、値段を見ると、私のような年金生活者では、とても気楽には買えないだろうなと思い、残念でした。

今回の桐生織物のトークと展示販売は、日比谷にある「都粋」▼さんと、日本橋の問屋さんの企画によるものでした。
こちらの問屋さんは、普段は一般には解放していないそうで、初めて入らせていただきました。
お世話になりました。

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この日の装い。

8月に、清澄庭園の展示会で気に入ったピンクの大島紬▼が仕立てあがったので、着てみました。


ピンクの部分と、クリーム色の部分の柄合わせを細かくお願いしたので、衿のあたり、いい感じに仕上がりました。
春先にもよいかもしれません。

帯は明るい色にしようかと思いましたが、今回はちょっと渋めに焦げ茶の帯にしました。

着物も、帯も「ゆめこもん」さんにお世話になったものです。

今回は、いつもの千円着物ではなくて、ちょっと値の張るものでしたよ。








2017年9月19日火曜日

脳の世紀シンポジウム1「日本の色を鑑る」

先日、第25回「脳の世紀シンポジウム▼に出かけました。


去年は、「食と脳」というテーマ▼でしたが、今回のテーマは「色と脳」でした。

今回は午前中しか参加することができませんでしたが、聞いた講義だけ、ちょっとまとめてみます。

ちなみに参加できなかった午後の部は、以下の講演がありました。

脳を守る 「失われた空間」 石合純夫先生(札幌医大教授)
 
脳を育む 「iPS細胞による網膜再生医療」高橋政代先生(理研)
 
脳を創る 「人間と機械の質感認識」西田眞也先生(NTT科学基礎研究所)

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最初は特別講演で、京都で江戸時代から続く染屋「染司よしおか」五代目当主・吉岡幸雄さんのお話でした。

(吉岡さんは著名な方なので、もっとよくご存じの方が多いと思いますが、直接お話を聞いた者として、少しだけまとめてみましたので、ご了承下さい。)

吉岡さんは大学卒業後は美術出版のお仕事をされていましたが、その後、生家である染物屋を継ぎました。
日本伝統の天然素材を使った染色と、そして染色の歴史に深い知識と見識をお持ちで、著書もたくさん出されている方です。

そのような講演があるので、会場のロビーには、染色された美しい絹糸が展示されていました。


吉岡さんは最初に、ご自身は「色」の専門家ではなく、「彩」の専門家である、と言って笑わせました。
「色」というと、本来は男女の道を指すのですが、「彩」は木や草や花のもつ色を表す、ということでした。

吉岡さんはその植物染めをされています。
いろいろな植物から染められた絹糸は、見事な光沢で、ほんとうに美しい色でした。
写真の真ん中の列には、その材料となる植物が置かれていましたが、このような木や葉から、色がつくことを見つけたのは、大昔の人の知恵ですね。


染の起源は、大昔、類人猿がサルに進化したころ、顔に赤いものを塗っていた、という証拠があるということでした。
それは化粧して美しくなるため、というよりも威嚇のために赤く塗られていたそうですが、原始時代から「赤」は特別な色とされていたそうです。

またエジプトでも、紅花を使った口紅を使っていたという歴史があったそうです。

日本では、縄文時代から土器に赤い色を使っていたことも分かっているそうです。
その後、古墳時代になると、死者を再生させたいという希望のために、古墳の内側に赤い色を塗ることもありました。

吉岡さんによると、「赤」はすべての色の原点ではないかということでした。
それは太陽が地平線から上がる瞬間の色であり、「アガル」が「アカ」になったのでは、というお話もありました。
また血の色である赤は、人間の脳を刺激する色ではないか、というお話でした。

(蘇芳の赤)

(日本茜の赤)

その後は、たくさんのスライドを見せていただきながら、色についてのお話が進みました。
まず最初は縄文式土器を見せていただきました。
これには赤と黒が塗られていましたが、赤は鉄のさびから、黒は焚火の墨を利用していたそうです。

弥生時代の土器は、はにわの眼のあたりが、赤く塗られていたそうです。
卑弥呼の時代には、朱と丹の赤が使用されていた、と「魏志倭人伝」に書かれているのだとか。

飛鳥時代にはさまざまな色が藤樹しますが、正倉院には数多くの茜色のものが保存されているそうです。

(紫根の紫)

その後、平安時代、鎌倉時代、戦国時代にも、人々の衣装には「赤」が使われてきました。
上杉謙信、家康の衣装なども、男性のものとは思えないほど、美しいものでした。

(蓼藍の青)

吉岡さんは、日本の色というと、「わび」とか「さび」のようにくすんだ色を想像されることがあるが、本来の日本の色はもっと鮮やかな色だった、と指摘されました。

(刈安の黄色)

昔のものを修復する際に、化学染料で修復すると、それは発色がよくて美しい色になります、それ以前に植物で染めた色の方が退色がなくて、持ちがよいそうです。

吉岡さんのお話は、染色の歴史がよく分かり、興味深いものでした。
「源氏物語千年紀展」▼の時も、源氏物語の色を再現されました。
私もそのイベントには足を運びましたので、どこかで吉岡さんの展示を拝見させていただいたことだと思います。

その後、図書館で吉岡さんの著書を借りて読んでいます。
その中で、紙についても書かれていますが、たとえば和紙に書かれた文字は千年ももつのに、今の印刷物はいつまで持つのだろう、ということもありました。
便利になって大量生産できることと、不便でも長持ちすること、それは私たちが選択しなければならないのかもしれませんね。

吉岡さんは訥々とした表情でお話されて、ちょっと頑固職人気質という感じの方でした。
ご自身で染められたと思われる藍のシャツを着ていらっしゃいました。
今の若い世代には、言いたいことをたくさんお持ちのようにお見受けしました。

会場には、脳科学とはちょっと無縁のような、吉岡ファンの着物姿の方もいらっしゃり、目の保養をさせていただきました。
私は着物で参加できずに残念でした。


(次の講演の藤田一郎先生のお話は、また別にアップします)

2017年9月18日月曜日

「ニンジャゴー」と「おしりたんてい」

5歳男児の孫が一人でお泊りに来ていました。

子供の知らない世界を見ることができました。

今、いちばん集中している遊びはレゴだそうです。
中でも、NINJAGO(ニンジャゴー)が大好きなんだそうです。

NINJAGOのホームページ▼

あまりに多種類あるので、お店で選ぶのが大変でした。


ニンジャが悪者をやっつけるお話になっていて、遊ぶ対象年齢により、いろいろと種類がありました。
食事もとらずに真剣に組み立てていました。


うちの孫はもうじき6歳ですが、ちょっと難しいレベルの「8歳~14歳向け」で飽きずに遊んでいました。


難解なところもありましたが、解説書を見ながら組み立てるのは、すごいと思いましたよ。

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絵本を読んで、と持ってきた本が「おしりたんていシリーズ」


まるで知りませんでしたが、シャーロックホームズばりの探偵が活躍するお話で、助手のブラウンという犬も登場します。
顔がお尻のような形をしているので、おしりたんていというようです。
問題を解決するときに「ぷぷー」とおならのような声を出すのです。

こちらに「おしりたんてい公式ホームページ」▼というのがありました。

子どもの世界は、知らないことが多いですね。



2017年9月17日日曜日

初めての一人でのお泊り

ブログは毎日更新しようと思っていますが、このところ娘が孫を二人連れてきていたりしたので、なかなかパソコンに向かう時間が取れませんでした。

上の5歳の男児にとっては、初めてのおじいちゃん・おばあちゃん宅での一人でのお泊りも体験しました。

ということで、孫の世話に追われていたので、ブログはちょっと休憩中でした。

写真は、初めてのモノレールに乗るところです。


いろいろと新しいことを体験できましたね。


2017年9月16日土曜日

保育園の敬老会

今年の本来の「敬老の日」は9月18日とのことですが、先日は、孫たちの通う保育園から「敬老会」のお誘いがありました。
敬老会というと、いかにも高齢のおじいさん、おばあさんの集まりのようですが、まぁ仕方ないですね。
園児たちが「敬老会の歌」というのを歌って、歓迎してくれました。


敬老会は、朝の9時半スタートだというので、私は7時半ごろには自宅を出ました。
ちょうど通勤ラッシュの時間帯でしたので、超満員の電車に乗って、埼玉まで出かけてきました。

この保育園は創立は70年近い老舗の保育園ですが、ちょうど昨年、園舎を新築して、定員を増加してたので、現在では0歳児から小学校入学前までの子どもが140名ほど通っているそうです。


午前の部は、4歳児と5歳児が登場しました。
お揃いの浴衣を着て、「紙人形」という日本舞踊を踊ったのは4歳児。


浴衣に兵児帯をしめて踊る姿は、、ほんとに愛らしかったです。


私の上の孫たち、5歳児のクラスは、手話つきの合唱を披露してくれました。
よくここまで覚えたものだと、感心しました。


その後は、おじいさん、おばあさんと一緒になってお遊びタイム。
いろいろな昔遊びが用意されていましたが、うちの孫は折り紙グループを選びました。
「風車」などは久しぶりに折ったので、ちょっと忘れてしまいましたが。


そしてその後は、お点前風の披露がありました。
こちらは「お行儀の時間」として、上級生は茶道の先生から教えていただいているそうです。
浴衣姿の子どもたちが、水ようかんをそれぞれの席まで持ってきてくれました。


つるんとして、おいしい水ようかんでした。


この年齢の子供たちは、どんなことでもちゃんと教えれば、できるものなのですね。
森友学園では教育勅語を覚えさせていましたが、指導者は正しいことを教えないと、いけないですね。


午後の時間は、0歳児から3歳児までの時間帯となりました。
私は下の孫がいるので、そちらにも参加することになりました。

幼児たちはそれぞれの教室で、午後の昼寝から起き上がったところで、まだボーっとしていました。
そんな時、先生から「お孫さんのところに行って、パジャマから服に着替えさせてみてください」という指令が飛びました。
私は今まで着替えはやったことがないし、孫の方も私のことをよく分かっていないようだったので、最初は嫌がられてしまいました。
それでもおやつを食べているうちに、とてもご機嫌になりました。


先生が絵本を読んでいた時は、ずっと私の膝の上にいたので、写真を写すことはできませんでした。


楽しく遊んでいましたが、帰るときはまた大変。
ママに抱っこされたかったようです。
大泣きされてしまい、無理やり前抱っこ用のもの(名前を忘れました)に入れて帰宅しましたが、ずーっと泣きっぱなし。

へとへとになって娘の家に戻り、早く帰ってきてメールを出しました。

娘が帰宅するまでの時間の辛かったこと。

いやはや、孫は眺めているくらいでちょうどよくて、だっこして歩くのはきついものでした。

それにしても保育園の敬老会、先生たちのご苦労はいかばかりだろう、と感謝せずにはいられませんね。
保育園の先生のお仕事は本当に大変ですね。

2017年9月15日金曜日

お年寄りの生活・・・・

高齢者の生活をお手伝いする仕事(有償ボランティア)を始めて、9か月ほど経ちました。

それ以前は、高齢者のお弁当の調理を担当していたのですが、これだと料理のメニューの幅が広がり、作り方も覚えますが、直接、高齢者と顔を合わせることがありません。
それで、今年の初めごろ、担当の方と相談の上、直接、高齢者をお手伝いをするセクションへ変更しました。

今年の7月にも書いています▼が、その時は、また新しいお仕事が増えるという時点でした。

今では、次々に依頼をされるようになって、毎月、4軒のおうちを担当するようになりました。
お手伝いの回数は、毎週の方、隔週の方、月に1回だけの方、とさまざま形態ですが、どなたもご高齢の女性の方のお手伝いをしています。


お年寄りの生活を見ていると、いろいろなことに気づかされますね。

一つは、どなたもモノをたくさん抱えているということ。
みなさま、戦後の物のない時代を過ごしているせいか、ものすごくモノをたくさんお持ちです。
それを目の当たりにすると、残された家族は整理するのが大変だろうなと、思わずにいられません。
誰でも、身体が自由なうちに、身の回りのものは処分したほうがいいだろうな、と感じてしまいます。
私もそのうち、後期高齢者になりますが、その時になって片づけをするのは大変でしょうから、モノはあまり増やさないようにしたいと思っています。

そして、二つ目に気づいたことですが、(個々のことはプライバシーに関することなのでここに書くことはできませんが)どなたも多かれ少なかれ、身体の不調を抱えていらっしゃいます。
それでも、気の持ちようで、明るく楽しく暮らしていらっしゃる方もいれば、沈みこんでしまう方もいらっしゃるということです。

ご自身の不調を嘆くよりも、残された機能を使って、明るく楽しく過ごす方が、周囲の人も喜ぶことでしょう。

私自身はもちろんいつまでも元気にしていたいと思います。
そのためには、いろいろなことに目を向けて、楽しく過ごせるようにしていたいものです。

こういうお仕事をするようになって、自分を振り返ることができ、またお年寄りからもいろいろなお話を聞かせていただき、学ばせてもらうことができて、本当に良かったと思います。

そしてこの仕事は、短時間でも家事労働をしっかりとするので、ダイエットにも良いと思いますよ。



2017年9月14日木曜日

「藤井聡太 名人をこす少年」

今日の読書案内は、今を時めく将棋の藤井聡太君の本です。
「名人をこす」というタイトルは、聡太君が小学4年のときに、将来の夢として、自分で書いた言葉から引用されたものです。


この本の内容は、将棋の棋譜ばかりの難しい専門的なものではないので、将棋が分からない人でも楽しめます。

彼のすごさは、小学4年生の時の色紙に書いた言葉(タイトルの「名人をこす」もそうです)ですが、10歳にして、面白かった本が「海賊と呼ばれた男」「深夜特急」であったこと!
また最近の関心事としては、将棋のことはもちろんですが、「尖閣諸島問題」「南海トラフ地震」「原発について」と書かれていました!
この色紙を見ただけで、タダモノではないことが分かりますね。
大人だって、こんなこと書けません。

この本は、先日のブログにも登場した▼将棋好きの市民カレッジの講師から紹介されました。
「将棋のことを分からない人でも楽しめる」というので、私も本屋さんで買ってみました。

奇跡の29連勝のこと、幼児からのエピソード、また他の社会(野球やボクシングなどの世界)で名人と言われる人との比較なども描かれているので、どれほどすごいかが分かります。
聡太君の登場は、イチローが登場した時の驚きにも似ている、と書かれていたので、「そうか、そういうことなのか」と、分かりやすかったです。

著者は、共同通信運動部の記者で、囲碁や将棋の記事も担当され、そしてご自身もアマ将棋の四段という津江さんという方です。

とにかくとても読みやすくて、ユニークな棋士も登場しています。
有名な羽生善治さん以外にも、いろいろなタイプの棋士がいらっしゃるのです。
また、○○戦とか、○○位ということも分かりやすく説明されています。
現在はタイトル戦は8つあるそうで、主催者の違いや、持ち時間の長さなどによっていろいろと違いがあるようです。

私が一番注目したのは、聡太君が将棋の世界に入り込むきっかけとなったのは、彼のおばあさんが5歳の誕生日に買ってあげた将棋セットだったということです。
私も孫に何かプレゼントするときは、ちょっと考えた方がいいかな、とも思いました。

それと、これはちょっと自慢話ですが、引退された天才棋士の加藤一二三さんとは、大昔、仕事の関係でお会いしたことがあることです。将棋の原稿を受け取ったりしましたが、その時はそんな有名な方とは知りませんでした。

私の亡くなった父は、昔から囲碁や将棋が趣味の人でした。
生きていたら、この天才少年のことをどんなふうに思うか、聞いてみたかったですね。


2017年9月13日水曜日

「伝承のたまてばこ」

先日、JR八王子駅北口のユーロードという道路の上で、2日間に渡って「伝承のたまてばこ」▼というイベントが開かれました。


「多摩伝統文化フェスティバル2017」というお祭りでした。

ポスターの上に描かれた楕円形のマークは、生糸や絹製品の原料となる蚕の繭をイメージしたものだそうです。
八王子は、昔から「絹の町」ですものね。

このイベントのテーマは、「日本の伝統を楽しもう」ということで、オープニングは津軽三味線。
そしてその後、菅生歌舞伎、八王子芸妓衆の踊り、筝と尺八の演奏、お茶会、人力車のサービス、織物体験など、さまざまなプログラムが町の中で繰り広げられました。

その中で、「温故知新」をテーマにした着物のファッションショーが開かれました。
多摩織の伝統工芸士である澤井伸さんと、若いアーティストの重宗玉緒さんが出会い、そして個性的な着物スタイルを作り上げたものを、ファッションショーという形で提案されました。

ショーの前日には、新聞にお二人の記事が掲載されました。


ファッションショーの当日は、真夏を思わせる真っ青な空と、ギラギラの太陽が降り注いで、ちょっと歩くと汗ばむような陽気でした。

道路の真ん中に赤いカーペットをしいて、そこにファッショナブルな着物を着たモデルさんが歩く、ということで、多くの市民が集まりました。

モデルさんたちは、かつてお茶屋さんの倉庫として使っていたという古い蔵から、一人ずつ歩いて登場しました。
この蔵のアンティークな感じと、現代的な着物が意外とよくマッチしていました。


鮮やかな色の着物、大胆なデザインの帯、可愛らしいバッグや小物などを身にまとい、とてもお洒落で個性的な着物姿でした。
モデルさんたちは無機質のような表情で、笑顔を見せずに歩いたりポーズを取ったりしていました。

中には「えっ」と驚くようなメイクアップ(長さ10センチほどのトンボのようなつけまつげ)や、「あっ」と目を疑うようなキューピーさんのバッグなどもありましたが、それも個性の現れでしょう、と思わせる楽しい着物姿でした。

道路にはいろいろな年代の方が見に来ていましたが、お年寄りも小さな子供たちも、みなさん、ショーを喜んでいたようです。

こちらは最後に挨拶をするためにカーペットに向かう重宗さんです。
もちろん、ご自身でデザインされた着物と帯をお召しです。


「八王子で、多くの人に着物を楽しんでもらいたい」と挨拶されたのが印象的でした。

八王子は桑の都、「桑都」と呼ばれているそうです。
その名がいつまでも続くよう、伝統の多摩織と重宗さんの斬新なデザインが融合して、これからも素敵な着物が作り出されることを期待しています。